藤原恭大さんは、千葉ロッテマリーンズに所属する野球選手です。
藤原恭大さんと言えば、卓越したバッティング技術と俊足でプロ野球界に新風を巻き起こす若手選手として知られていますが、彼の活躍の裏には家族の温かい支えがあります。
この記事では、
- 藤原恭大さんの父親が営む焼き鳥屋の場所・名前
- 藤原恭大さんの実家
- 藤原恭大さんの家族構成
について詳しくご紹介します。
藤原恭大の父親の職業は焼き鳥屋と会社経営!
焼き鳥屋は、地元で高い人気を誇り、常連客が多く集まるアットホームな雰囲気が特徴。
厳選された鶏肉を使用し、一品一品丁寧に焼き上げることで、その美味しさが地元の人々に愛され続けている名店です。
さらに、藤原さんの父親は、経営者としても活躍しており、実は焼き鳥屋は副業で、本業は機械プラントの会社を経営しています。
実際に藤原恭大さんの父親が営む焼き鳥屋に行った方の感想です。
今日の夕食は…
— 🌻BIWAZO💙🗝YC🌻 (@nontaro_k) February 11, 2020
花火で焼き鳥ー😊😊😊
そそ。ロッテファンにはお馴染みの藤原恭大選手の実家の焼き鳥屋さんです‼️
うまうまでした😊店内のおさしんはUPやめときます‼️楽しみの方の為😍#千葉ロッテマリーンズ#藤原恭大 pic.twitter.com/tDhnjQBMb7
藤原恭大の父親の焼き鳥屋!店の場所・名前は?
実は、以前は別の名前「炉羽庵 (ロウアン)」として営業されていました。
が、藤原恭大さんのファンが多く押し寄せたため、店名を「たんば地鶏 花火」に変更されたという経緯がありました。
しかし、店名変更した効果は全くなかったとのこと💦
今も藤原恭大さんのファンや大阪桐蔭のOB・阪神の元選手がよくいらっしゃるそうです。
もともと、藤原恭大さんの父親は野球をしている息子たちのために、高いレベルで野球談議ができる環境を作ってあげたくて、お店を始めました。
息子さんたちへの愛情で、副業として焼き鳥屋を始めてしまう父親は、カッコイイですね。
ちなみに2024年3月31日を持って、「たんば地鶏 花火」は閉店されています。
こちらは、たんば地鶏 花火の公式インスタグラムから抜粋しました。
野球好きが集まる憩いの場が無くなってしまったのは、残念です。
「たんば地鶏 花火」が営業していた時のメニューです。
リーズナブルで美味しそうなメニューが目白押しですね!
藤原恭大の実家は?
詳細な場所はもちろん公表されていませんが、藤原恭大さんが「豊中市立第五中学校」に通っていたとされていますので、ご自宅が変わっていなければその校区内にご実家があると思われます。
「豊中市立第五中学校」の場所
藤原恭大さんは、大のマンガ好きです。
今でもご実家の自室には、もともと実家にあったマンガと大学の寮にあったマンガを集めて、2000冊が大切に保管されているとのこと。
大阪桐蔭高校時代には野球の合間に漫画を読むことでリフレッシュできたと話します。
寮生活に親から差し入れてもらうものも漫画。
夜の練習が終わって自由時間があるのは23時からという短い時間だったそうですが、その時間のほとんどを漫画を読んで過ごしたそうです。
そんな藤原恭大さんの将来の夢は、「好きな時に好きなマンガを読める部屋を作ること」
「自宅にマンガ部屋を作りたいですね。実家にあるマンガと寮にあるマンガをその部屋に集めてのマンガ部屋です。一日中、好きな時に好きなマンガを読める部屋を作りたいです。それが夢ですね」と藤原は目を輝かせる。
引用:文春オンライン
2024年大活躍だった藤原恭大さん、ご自身の稼いだお金で自宅を建て、夢が叶う日も近いのではないでしょうか。
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- キングダム
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だそうです。
藤原恭大の家族構成
- 父親・史成さん
- 母親・道子さん
- 長男(兄)・海成さん
藤原恭大さんとご家族のエピソードを交えてご紹介します。
父・史成
父・史成さんは、藤原恭大さんが小学生の時に所属していた軟式野球部の監督をされていました。
父・史成さんは、藤原恭大さんに厳しく、こんな風に話しています。
「僕は褒めたことはありません。中学で打率7割ぐらいを打った時も。まだできる、と言い続けました」。家の外でバドミントンの羽根を投げ、藤原が打つ。サポートも惜しまず、親子でレベルアップを目指してきた。
引用:デイリースポーツ
厳しくも、息子に寄り添って野球を応援されてきたのですね!
母・道子
母・道子さんもまた、藤原恭大さんが、大阪桐蔭の2年生のとき右足の怪我をした際、病院まで車で送ってくれたそうです。
その後は足を使った練習ができず、別メニューをこなす日々でしたが、苦しむ藤原恭大さんに
焦らないで。今できることをよく考えて。
とアドバイスを送った道子さん。
精神的な面でも母・道子さんの支えがあり、3年生の時には4番打者として、甲子園春夏連覇に導く存在になりました。
2019年ZOZOマリンスタジアムで行われた楽天戦を観戦する藤原恭大さんのご両親の画像がありました。
大阪・豊中市にあるご実家から、車で7時間かけて、駆け付けたのだそうです。
母・道子さんは、元モデル?と噂されるほどの美人ですが、モデルだったという事実は確認できませんでした。
また、藤原恭大さんと母・道子さんは頻繁にLINEで連絡を取り合っているようです。
「毎日のようにLINEをして2軍の試合を見た感想を伝えています。割と早く返事が来ます(笑い)。今年、打てない時期が長く続いて『調子が狂っている』と言っていましたが、大阪桐蔭の頃から、けがなどの不安を口にすることはあっても、愚痴や弱音は吐いたことがないです」
引用:スポーツ報知
2020年10月9日、ロッテの選手が新型コロナウイルスで感染者8名・濃厚接触者5名、計13選手が離脱して、藤原恭大さんが1軍に上がって大活躍したことがありました。
その時には母・道子さんはテレビにかじりついて見ていたと話しています。
試合前には、藤原恭大さんから、次のようなLINEがきたといいます。
チャンス。結果を残す
大一番のときにも母親にLINEで連絡をとっているのは、ご両親の想いを藤原恭大さんも知っているからなのでしょうね。
母・道子さんと毎日のように連絡を取り合い、アドバイスをもらっていたとのこと。
プロになってからも、母・道子さんのLINEのサポートがあったおかげで、チャンスをしっかりと物にできたんですね!
兄・海成さん
2歳上の兄・海成さんは、なんと、PL学園高校の最後の野球部員でした。
藤原恭大さんは、小学生の頃、父・史成さんが監督をする軟式野球チームで、兄・海成さんと一緒に「甲子園出場」を目標にして、練習してきたそうです。
兄・海成さんが選んだ高校は甲子園常連校の「PL学園」。
高校1年のときには大阪大会で準優勝を飾ります。
ここなら夢の舞台に立てる
と弟の藤原恭大さんを誘った矢先に、PL学園は新規部員の募集停止を発表します。
部員が減少したための廃部でした。
野球部は試合ができるギリギリにまで人数が減り、後に事実上の廃部が決定する。「少ないからこそ結束力も固まり、野球が普通にできる喜びを感じられた」と振り返るが、甲子園の夢はかなわなかった。
弟は「兄に甲子園の景色を見せたい」と、強豪校の大阪桐蔭に進学。競争は激しかったものの、奮闘してレギュラーに定着。ついには、海成さんが果たせなかった甲子園出場を決め、選抜で勝ち進んだ。
引用:産経WEST
まさに、家族で掴んだ甲子園出場。
出場だけで終わらず、大阪桐蔭は、春夏連覇まで果たしました。
まとめ
藤原恭大さんの家族構成や実家、父親は焼き鳥屋で会社経営もしていることについてお話してきました。
- ご実家は大阪の豊中市
- 父親の史成さんが経営する焼き鳥屋「たんば地鶏 花火」も豊中市
「たんば地鶏 花火」は、2024年3月をもって閉店されてしまいましたが、営業していた頃は、多くのファンや野球仲間に愛された名店です。
藤原恭大さんの家族構成は
- 父・母・兄の4人家族
- 兄の海成さんはPL学園の最後の野球部員
兄が果たせなかった夢を、代わりに藤原恭大さんが甲子園出場・4番打者で甲子園春夏連覇という形で実現させたのです。
母・道子さんの精神的なサポートもあって、成し遂げた偉業。
藤原恭大さんのご家族は、とても仲が良く、強い絆で結ばれているように感じました。
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