パリオリンピック代表にも選ばれている日本卓球界の絶対的エース・張本智和さんは実は両親の国籍が父親と母親で違うんです。
張本智和さんといえば、卓球選手の両親をもつサラブレッドで、その才能は「100年に一度の逸材」とも称されています。
2017年、ITTF(国際卓球連盟)ワールドツアー・男子シングルス部門で史上最年少わずか14歳61日で優勝。
翌年2018年に行われたITTFワールドツアー・グランドファイナルでは、こちらも史上最年少15歳172日での優勝を飾るなど最年少記録を破り続けてきました。
得点した時に叫ぶ「チョレイ!」は、張本智和さんの代名詞ともいえますよね。
張本智和さんは両親ともに中国出身。
しかし、現在の両親の国籍が父親と母親で違うようなのです。
今回は張本智和さんの家族関係に注目し、
- 両親の国籍が父親・母親で違う理由
- 両親の仕事のコーチ業について
といったことを徹底調査してみました!
張本智和の両親の国籍が父親母親で違う理由!
張本智和さんは、両親ともに中国・四川省の生まれです。
実は父親も母親も、母国・中国で輝かしい成績をおさめてきた元卓球選手なんですよ。
張本智和さんの父親と母親について簡単にご紹介します。
張本智和の父親
張本智和さんの父親・宇さんの簡単なプロフィールと写真はこちら。
名前 | 張本宇 |
読み方 | はりもとゆ |
中国名 | 張宇 |
中国名読み方 | ザンウ |
年齢 | 54歳(推定・2024年6月現在) |
出身 | 中国・四川省 |
国籍 | 日本 |
父・張本宇さんは元中国ジュニア代表で、母国・中国で数々の成績をおさめた元プロの卓球選手。
カタールやイタリアなど世界でもプレー経験があります。
現役引退後は指導者として、中国で10代の若い選手たちを育成。
その後来日し、大阪などでも子供たちに卓球を教え、1998年に仙台ジュニアクラブのコーチとして招待されたことをきっかけに、宮城県仙台市に拠点を移しました。
男子ジュニア日本代表や仙台ジュニアクラブ代表のコーチを務めています。
父・張本宇は元中国ジュニア代表で、現在は仙台ジュニアクラブ代表と日本男子ナショナルチームのコーチ(張本担当)を務めている。
引用:Olympics
2014年、日本に帰化しています。
張本智和の母親
張本智和さんの母親・張凌さんの簡単なプロフィールと、Instagramに掲載された写真をご紹介します。
名前 | 張凌 |
読み方 | ザンリン |
年齢 | 1973年生まれ、51歳(2024年6月現在) |
出身 | 中国・四川省 |
国籍 | 中国 |
母親・張凌さんも元プロ卓球選手で、張本智和さんは正真正銘のサラブレッドなんです!
1995年に開催された第43回世界卓球選手権・天津大会に、中国代表として出場しています。
1990年代に引退後は、マレーシアで女子代表の監督を務めるなど、母親・張凌さんも、指導者として手腕を発揮しました。
1998年、交際していた宇さんが来日した年に結婚。
「張本卓球場」で若い世代の育成に励み、仙台ジュニアクラブ副代表として選手を指導しています。
母親・張凌さんは帰化せず、中国国籍のままです。
国籍が父親と母親で違う理由
張本智和さんは、2歳になる前からラケットを握り、父親・宇さんや母親・凌さんとラリーをしていました。
小学生の頃には全日本選手権・小学生の部で6連覇を達成し、史上初の快挙を成し遂げています。
そんな張本さんは、11歳を目前にした2014年の春に帰化しています。
張本智和・帰化の理由
張本さんが帰化した理由は『日本代表』として世界の舞台で戦うためです。
そして、両親は中国人であるものの、張本さんは宮城県仙台市で生まれ育ったため、日本への想いが強かったのでしょう。
張本智和さん自身から、両親に
帰化したい
という意志を伝えたそうです。
また、小学生で挑んだ全日本選手権では、出場するために日本国籍が必要だったことも理由の一つです。
両親は来日当初、中国に戻る予定だった
中国でプロの卓球選手として活躍し、引退後は共に指導者として活動していた張本さんの両親。
日本へ来日し、日本で卓球を指導しながらも、当初は中国に戻ることを前提としていました。
当時中国では、海外で経験を積んだのちに、母国・中国で指導者になることが目標とされており、張本さんの父親・宇さんもそのつもりだったのです。
「海外でいろんな経験を積んだあと、中国へ帰ってプロチームの指導者になることが、当時の中国選手たちの多くが目指し、歩む道でした。小山さんに招かれて日本に来た私も、将来はそうした道へ進もうと考えていました」と、宇は振り返る。
引用:Number WEB
宇さんは、『仙台ジュニアクラブ』指導のために来日し、半年後に凌さんと結婚。
中国から、指導者としてのオファーが来ることもありましたが、慣れない日本での生活を選んだのは「日本での指導が楽しかったから」だそう。
両親で国籍が違う理由
2003年に張本智和さんが生まれ、他の子供たちと同じように『仙台ジュニアクラブ』で指導しました。
プロの厳しさを知っている両親は、勉強もおろそかにしないよう伝え続け、張本さんもそれにこたえるように勉学にも励みます。
何より、妻が卓球よりも、勉強をがんばるよう智和に言い続けてきましたから
引用:Number Web
日本で生活の基盤が形成され、張本さんも日本語をどんどん吸収していくなかで、日本への愛着がわいたのでしょう。
それまで中国名の「張智和」を名乗ってきた張本さんですが
オリンピックなどの世界を舞台に『日本代表』として活躍したい
という意志を固め、両親にその想いを伝えました。
父親・宇さんも、そんな張本さんの意思を尊重し、息子を全力でサポートするため、共に帰化したのです。
2020年に開催が決まっていた東京オリンピックで『日本代表』としてメダルを獲得するために必要な選択だったと、父親・宇さんは語っています。
’14年の春、父と息子、そして妹の美和が日本に帰化した。
「’20年の東京五輪で金メダルをとりたい」という息子の夢を叶えるのに最適な判断だと夫婦で考えたからだ。
引用:Number Web
母・凌さんに関しては、帰化しているという情報は見受けられませんでした。(2024年7月現在)
夫の張本宇、長男の張本智和、次女の張本美和はいずれも日本に帰化して姓を張本に変えたが、張凌は依然として中国国籍を保持している。
引用:Wikipedia
両親は共に中国出身だが、今は母親を除いて日本に帰化、地元・仙台市内の「張本卓球場」で後進の育成に当たっている。
引用:デイリー新潮
しかし、張本智和さんの両親が運営する『張本卓球場』のコーチ紹介ページには”張本凌“さんの名で表記があるため、情報が更新されていないだけで帰化しているかもしれません。
夫婦どちらかが帰化していなければ、老後に母国で暮らすことも出来るので、将来的に中国で生活する選択肢を残しているのかもしれません。
張本智和の両親の仕事のコーチ業
張本智和さんの父親・宇さんと母親・凌さんは、2016年8月に『張本卓球場』を立ち上げました。
宮城県仙台市にあり、仙台ジュニアクラブ育成の場となっています。
卓球の一流メーカー『バタフライ』との提携店でもあります。
天井が高く、柱のない特殊構造に6台の卓球台が並び、フロアを見渡すことができる施設で、30名近い小中学生が汗を流しています。
OGには”卓球の愛ちゃん”こと福原愛さんも名を連ねるクラブなんですよ。
父は「仙台を卓球王国にして、オリンピック選手をたくさん送り出したい」という夢を語っています。
開場式には張本はもちろん、クラブOGの福原愛も駆けつけた。~中略~
私の夢は、 仙台を卓球王国にすることなんです。私はこの卓球場でたくさん強い選手を育てて、オリンピックに送り出すんです。子供たちを見ていると、それはきっとできるようになると思います
引用:日刊スポーツ
張本智和さんや妹の美和さんもこのクラブで卓球に打ち込んできました。
父親・宇さんと母親・凌さんそれぞれのコーチ業について簡単にご紹介しましょう。
全ての子供たちを平等に指導した父親・宇
父・張本宇さんは、中国出身で日本に帰化し日本代表として活躍した、小山ちれさんの練習パートナーも務めていました。
中国代表として、世界選手権優勝などの経歴をもつ元卓球選手。
一度引退したものの日本人コーチと結婚したことをきっかけに、1992年日本に帰化し来日、選手復帰しました。
1994年広島アジア大会では日本代表として、かつての祖国のエースに逆転勝利し金メダルを獲得。
日本へ帰化し優勝したことで大炎上、という一部始終を間近で見ていた宇さんは、息子に”智和”という名をつけたことに影響していると話しました。
知恵を意味する”智”、平和を意味する”和”、将来日中どちらでも通用する名前を付けました。
「智は知恵です。人が人らしく生きていくための道具です。和は平和です。私たちは長いこと祖国を離れていますから、仲良く暮らす大切さを学んできました。」~中略~キラキラネームと程遠い「智和」という、日本でも中国でも通用する名前を選んだところに、将来、どうなっても困らないようにという親心がのぞく。
引用:日刊ゲンダイ
#父の日
— 張本智和ファンまとめ (@harimotofans) June 21, 2020
宇さんの目は、いつも優しさと息子さんへの思いにあふれていて、二人のアイコンタクトには物語性を感じます(勝手に)。
張本ファミリーが一緒の期間もあと少し。
皆さん充実したご家族の時間を過ごされますように。
宇さん、これからもお忙しい日々と思いますが、どうぞお体に気をつけて。 pic.twitter.com/A1HhyvBSUY
父・張本宇さんは、コーチとして来日したものの、いずれ中国に戻り、中国のチームを指導することを目指していたのは前述のとおり。
しかし、息子・智和さんに特別な練習をするといったことはなく『張本卓球場』に通う全ての子供たちに同じ時間を割いていました。
どんな特別な練習をしてたんですかってよく聞かれるのですが、私は仙台ジュニアクラブの指導者ですから、60人近くいる子供たちを平等に指導しなければいけません。
智和にも他の子供たちと同じように、正しいフォームをしっかり身につけるように指導しただけです。
引用:Number Web
あくまでもクラブのコーチとして指導することに務め、宇さんは仙台ジュニアクラブの代表・コーチだけでなく
- 男子ジュニアナショナルチームコーチ
- 日本オリンピック委員会強化スタッフ
- JOCエリートアカデミーサポートスタッフ
- バタフライ・アドバイザリースタッフ
といった経歴を重ねています。
父・張本宇さんは、指導者としても才能にあふれているのですね!
卓球よりも勉強をさせた母親・凌
張本智和さんの母・張凌さんも、息子に卓球の英才教育をしてきたわけではありません。
それどころか凌さんは「卓球で生きていかなくてもいい」という考えの持ち主のようです。
「妻なんて、いまだにトモ(智和)は卓球で生きていかなくてもいいと思ってますよ」
引用:Yahoo!ニュース
一に健康、二に勉強、もし好きなら、卓球もすればいいと言って聞かせました。
引用:日刊ゲンダイ
卓球大国・中国で生まれた凌さんは、トップアスリートとして生き抜く難しさを誰より知っていました。
「いつか選手ではなくなる」という考えをもち、近代中国の父・魯迅が学んだ東北大学に進学してほしいという思いが強かったそうです。
智和に本当は東北大学に行って欲しかったの。
ルーシュン先生が学んだ大学は私たちにとって東大よりも憧れの学びやですから
引用:日刊ゲンダイ
まさに文武両道の考えを持つ凌さんは、遠征先でもその姿勢を変えず、試合後には
今日は勉強しましたか?
宿題はちゃんとやってる?
と欠かさず声を掛けていたのだとか。
張本智和さん自身も、卓球をたくさんやるためにと一生懸命勉強にも取り組んだそうです。
3歳から英会話教室にも通っていました。
凌さんも、宇さんと同じように、練習場に通う子供たちに対し平等に指導しました。
「通ってくれる子供たちが大事だから」と、慣れない土地でのコーチ業を優先させる凌さんを、子供を通わせる保護者は応援していたそうです。
まだ小さな智和さんを留守番をさせるわけにいかず卓球場に連れてきていた時も、保護者達が面倒をみてくれていました。
家に一人でいさせるわけにはいかなかったので、いつも練習場に智和を連れてきていました。
練習の合間は生徒さんの親御さんたちがあやしてくれて。
引用:Number Web
張本智和さんは、コーチの両親と練習場の保護者と、さまざまな大人に見守られて育ってきたのですね!
まとめ
ここまで、張本智和さんの両親の国籍について調べてきました。
張本さんの父親・宇さんは日本国籍、母親・凌さんは中国国籍で、両親で国籍が違うことが分かりました。
もともと日本で指導した後中国に戻るつもりだった張本さんの両親。
「オリンピックで日本代表として戦いたい」という智和さんの意思を尊重し、智和さんと宇さん、そして妹の美和さんが帰化したのですね。
母親は現在帰化していないようですが、夫婦で国籍が違うことは珍しくありません。
夫婦どちらかが中国国籍を残していれば将来的に中国でも生活できるため、帰化していないのではと考えられます。
練習場に通う全ての子供たちに同じように指導し、張本さんには何より勉強の大切さも指導してきた両親。
世界を舞台に活躍できる張本さんの強さは、こんなところにあるのかもしれませんね。
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