オリックスで好感度抜群の選手と言えば投手の宮城大弥さん。
2022年に「宮城大弥基金」という経済的な理由でスポーツを断念せざるを得ない子供たちに支援をする活動を始めています。
そんな宮城さんの活動を知っている方はまだ少ないのではないでしょうか。
その活動を始めるに至ったのは、宮城さん自身が子供の頃に経済的に苦労しつつも、色んな方に助けられて今があるから恩返しがしたい、という考えからだったそうです。
この記事では、そんな
- 宮城大弥さんの貧乏エピソード(グローブ秘話や具なしカレーなど)
- 宮城大弥さんが貧乏だった理由
を調査しました!
宮城大弥の貧乏エピソード8選が壮絶⁉グローブ秘話!
宮城大弥さんの貧乏エピソード7選をまとめました。
- アパートの6畳1間で4人暮らし
- 毎月、水道・電気・ガスのどれかが止まった
- 具無しカレー
- おもちゃのビニール製グローブ
- 継ぎはぎだらけの試合着
- 公園の水道水を沸かして体を拭きお風呂替わりに
- 遠征費を借りる
- セルフカット
①アパートの6畳1間で4人暮らし
宮城大弥さんの家族は当時4人。
沖縄県宜野湾市の中心部、家賃2万8000円の6畳1間のアパートで暮らしていました。
その6畳の部屋に置いていたのは、
- 仏壇
- タンス
- 小さなテーブル
- 解体工事現場からもらい受けたテレビ
部屋に置けずベランダには冷蔵庫と洗濯機があったそうです。
4人が一緒に足を伸ばして寝るスペースがなく、両親のどちらかが交代で壁にもたれて座って寝たのだとか💦
「アパートの6畳1間でした。部屋が狭かったので、冷蔵庫はベランダに出していたんです。テーブルが部屋の真ん中にあって、寝るときはどかして布団を敷いていました」
4人が床に並べず、両親のどちらかが交代で座って寝た。おやつにするパンの耳をもらって帰ることも珍しくなかった。
引用:朝日新聞デジタル
家族4人が6畳1間で暮らすのはかなり狭く、寝ることも満足にできなかった様子が伺えます。
②毎月、水道・電気・ガスのどれかが止まった
毎月、水道・電気・ガスのどれかが止まっていたという宮城家。
あと3日でガスがなくなるよ
と家族で声を掛け合いながら乗り越えたといいます。
ライフラインの料金が払えなかったのは、きっと食糧費を優先させていたためだったのでしょうね。
電気が止まると、ロウソクの明かりで暮らしていたそうです。
(電話は隣の家で借りていたとのことです)
母・礼子さんは、
つらくないと言えばうそになるけど、『この貧乏には意味がある』と思ってましたね。電気のない日があるから、ありがたさがわかる。今後の人生に必ず生きるはず
と、前向きに生活していたことを明かされています。
③具無しカレー
宮城家では、給料日前の月末近くなると食費が底をつき、1週間をルーとごはんだけの「具なしカレー」でしのぐことがあったそうです。
母・礼子さんが「こんなものでごめんね」と言うと、宮城さんはそんなメニューに文句を言うどころか、
ノーフードカレーだね
と、シーフードカレーになぞらえて言い、笑いながら食べたそうです。
宮城大弥の貧乏時代の具なしカレーを「ノーフードカレーだね」って言いながら食ってた話を聞いてさらにファンになった。
— かず先生 (@KazuV8baseball) November 9, 2023
うちには笑いがあるんだと、小さいながらに笑えることが幸せだと理解していた宮城さんが素敵ですね。
④おもちゃのビニール製グローブ
宮城大弥さんは、4歳のときに苦しい家計の中から買ってもらった700円のナイロン製グローブを宝物として大事にしました。
少年野球チームではそのグローブをはめて練習に参加。
本革と違ってビニール製のグローブは硬かったため、父・亨さんが可哀想に思い、ある日グローブを電子レンジで温めたそうです。
すると、グローブは溶けてしまいます!
そんなグローブを見て、
グローブが溶ける魔法だね
と言いつつも泣いてしまった宮城大弥さん。
具無しカレーでも笑い飛ばしていた宮城さんが、グローブが溶けると泣いてしまったのは、野球が大好きだったからでしょうね。
松坂彷彿 宮城大弥
— Sky@ass (@sk_yass) October 4, 2020
高卒ドラ1投手デビュー一番乗り
初回 度胸満点浅村K斬り
中嶋監督代行『ちゃんとした戦力』
5回2失点✌️勝敗はつかず
700円グラブと具なしカレー
日刊スポーツさんより#宮城大弥 pic.twitter.com/g763IqnYrG
⑤継ぎはぎだらけの試合着
野球には、「練習着」と試合で着る「ユニフォーム」との両方が必要となってきます。
しかし、両方を買う余裕がなかった宮城家では、試合用「ユニフォーム」だけを用意しました。
練習でもユニフォームを着るために、たった1つのユニフォームは継ぎはぎだらけになったといいます。
また、スパイクは穴のあいたところをガムテープで補強して履きました。
中学生の時に宮城さんが所属していた『宜野湾ポニーズ』の総監督は、
ユニフォームは可哀想になるほどボロボロで、道具は少年野球用のものをそのまま使ったり、チームメイトのお下がりをもらったりしていました。
それでも大弥は自らの苦労を表に出さず、ただただ一生懸命に野球に取り組んでいました
出典:日刊ゲンダイ
と、話しています。
⑥公園の水道水を沸かして体を拭きお風呂替わり
宮城家では、水道代が払えずに滞納することがありました。
そうして水が止まってしまうと、公園から水を運んできて湯を沸かし体を拭くこともあったそうです。
夏の練習の後など汗だくのまま寝ることも出来ず、きっと毎日水を汲んで体を拭いたことも1度や2度じゃなかったでしょうね💦
⑦遠征費を借りる
4歳から野球を始めた宮城さんは、その才能と努力、そして抜群の運動能力で小学1年生からレギュラーに抜擢されました。
レギュラーになれば、練習試合でも遠征に出たり、試合でももちろん県内県外問わず遠征することはつきものです。
交通費や宿泊費など一回の遠征でかかる費用はかなり高額なことが想像できますよね💦
そのため宮城家は、遠征費の支払いが間に合わず、監督に用立ててもらったこともあったと後に母・礼子さんが明かしています。
しかも、そんな家族の状況に心無い言葉をかける人も…
何とか工面して部費や遠征費を支払っても、宮城家の事情を知る周囲の保護者から「宮城さん、どこから盗んで来たの。明日の新聞載らんよね」と泥棒扱いされ、家族は悔しい思いをしたという。
引用:日刊ゲンダイ
⑧セルフカット
こちらのお話は宮城大弥さんのお母さんの話です。
カメラや携帯はもちろん、ドライヤーもなく、電話は隣家で借りた。
美容院に行ったこともなく、長く伸ばした髪に自分でハサミを入れた。
引用:読売新聞オンライン
おそらく宮城大弥さんもずっと両親に髪を切ってもらうか、自分で整えていたのではと思われます。
年末に向けHDの整理の途中2019年のドラフト緊急特番を見て再び感動😭
— にんにん (@ULIXwIOAkyqeOgH) December 12, 2021
とても明るくのびのびと育てられたご両親、真っ直ぐ育った宮城君
宮城君がオリックスに来てくれてほんとに良かった😊 pic.twitter.com/rD8hYG6pkg
宮城さんはそんな貧乏な生活でも、2019年「ドラフト緊急特番」番組内で、
笑って前を向こうと思っていた
と、まだ10代という若さで笑顔で話されている姿が印象的でした。
経済的に大変でも、明るく素直に育てられたご両親が素敵だなと感じます。
宮城さんは、周りから貧乏をいじられたり、いじめにあったりすることもありました。
ですが、どんなときも弱音を吐かず前を向いて野球に打ち込み続け、結果に結びつけたのは本当に立派だと思います。
ドラフト緊急特番お母さんありがとうを毎年真剣に観ていたら宮城くんの悪口なんて言えないよな pic.twitter.com/olgFU8ZT6t
— きよむほ⚪︎ (@v0lm0) November 21, 2021
宮城大弥が貧乏だった理由
そのため、食費の捻出もままならないほど困窮していたといいます。
宮城さんが小さかった頃
父・亨さんは、
- 引っ越しセンター
- レンタカーの洗車
などの仕事についていました。
母・礼子さんは、「家庭に居てほしい」という亮さんの願いがあり勤めに出るのを控えていたそうです。
その後(宮城大弥さんがある程度大きくなってから?)
母・礼子さんはパート。
父・亨さんは、
- 昼:「沖縄ツーリスト」の社員
- 夜:「興南高校」の寮監
と、共働き+仕事掛け持ちで働いていました。
が、それでもお金が足りなかったとか。
少しでも広い家へ引っ越したいと貯めたお金は、宮城大弥さんの遠征費用に消えていったそうです。
両親もそんな息子を懸命に支えた。
礼子さんはパートに励み、亨さんも昼は当時勤めていた沖縄ツーリストの社員として、夜は興南高校の寮監として寝る間も惜しんで働いた。
それでもカネが貯まることはなく、出ていく一方だった。
引用:日刊ゲンダイ
宮城大弥さんは小さい頃からそんな両親の後ろ姿を見ていたからか、
プロに入ったら普通の人より給料が高いと聞いたんだ。母さんにもスイカを買ってあげられるよ
と、自分が将来家族を支えてあげるんだという優しい言葉をかけてくれたそうです。
まとめ
この記事では、宮城大弥さんの貧乏エピソード8選、貧しい理由とグローブ秘話などを調査してきました。
- アパートの6畳1間で4人暮らし
- 毎月、水道・電気・ガスのどれかが止まった
- 具無しカレー
- おもちゃのビニール製グローブ
- 継ぎはぎだらけの試合着
- 公園の水道水を沸かして体を拭きお風呂替わりに
- 遠征費を借りる
- セルフカット
宮城大弥さんがエース投手となったのは、当時の苦労をばねに、一生懸命に野球に打ち込んだご本人の努力のたまものでしょう。
また、苦労した時代があったからこそ、「プロに行って親孝行したい!」と思ったその気持ちも原動力になったのだと思います。
宮城家のたくさんの笑顔があふれるご家族が素敵でした!
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