佐々木朗希の父の職業は葬儀屋!死因は津波?親子エピソードも調査!

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佐々木朗希の父の職業は葬儀屋!死因は津波?親子エピソードも調査!

2022年にプロ野球史上16人目の完全試合を達成するなど、大活躍中の“令和の怪物”佐々木朗希さん。

メジャー行きが確実視されるなど、今後の活躍が期待される選手の1人です。

岩手県陸前高田市出身の佐々木朗希さんは9歳で東日本大震災によって被災。

父親と祖父母を津波で亡くされるという悲しい経験をされています。

この記事では、佐々木朗希さんの、

  • 佐々木朗希さんの父親の職業
  • 佐々木朗希さんの父親の死因
  • 佐々木朗希さんの父親のエピソード
  • 佐々木朗希さんの父親の身長
  • 佐々木朗希さんの家族(母、兄弟)

について調査しました。

ぜひ、最後までご覧ください。

目次

佐々木朗希の父の職業は葬儀屋!

佐々木朗希さんの父親は生前に葬儀屋の仕事をされていました。

佐々木朗希の父親の職業

佐々木朗希さんの父親は、佐々木功太さん(享年37歳)です。

佐々木朗希さんの父親・佐々木功太さんの職業は、葬儀屋でした。

佐々木朗希さんの父親の仕事については、「人生の節目に寄り添う仕事」と報道されていました。

もともと、陸前高田では知られた人だった。元気な3児の優しい父として。

人生の節目に寄り添う仕事をする、人情あふれる働き者

引用:日刊スポーツ

さらに詳しく調べていくと、「葬儀屋さん」だったことが判明。

功太さんは、そんな朝も夜も関係なく出勤のある葬儀屋の仕事をしつつも、朗希さん達と頻繁にキャッチボールをしてあげていたそうです。

朗希は凄い!将来、プロになれる

と、褒めてくれていた父・功太さんは今頃、「やっぱりなぁ」と天国から朗希さんのことを見守っているでしょうね

忙しい葬儀屋さんの仕事の時間の合間に、子どもたちとキャッチボールをするなどして一緒に遊んであげたお父さん。
子煩悩で優しいお父さんだったことがわかります。

父親の身長は?

192cmという高身長で有名な佐々木朗希さんですが、父親の功太さんの身長も高かったのでしょうか?

父親・功太さんの身長は181cm

だということがわかりました。

かなり高身長ですね!

功太さんは、高身長を活かしてバスケットボールもされていたことがあったのだとか。

佐々木朗希さんの高身長は父親譲りなのですね!

佐々木朗希の父親はどんな人だった?

佐々木朗希さんの父親・功太さんはどんな方だったのか調べました。

報道や佐々木朗希さんの言葉から見えてきた父・功太さんは、

  • 明るい
  • 有言実行の人
  • 地元のイベントなどに積極的に参加
  • 夏祭りでは町内会を率先して盛り上げる
  • 仲間づくりが上手
  • 気さくで行動力がある
  • 地元のリーダー的存在
  • スノーボードやジェットスキーなどが趣味

以上のような方でした!

とても人情味にあふれ、みんなが惹かれるような存在の方だったことがわかりますね。

佐々木朗希さんは父・功太さんについて次のように話しています。

誰とでもすごく仲良くしていて、みんなに愛されていたのかなぁ、と思います。

震災復興に尽力した戸羽太・陸前高田市長とも長く付き合いがあったそうです。

功太さんは37歳のとき、東日本大震災の津波に巻き込まれて亡くなられました。

佐々木朗希さんは小学校3年生という幼いときに父親を亡くされ、胸が張り裂けそうに悲しかったことでしょう。

佐々木朗希の父親は震災の津波で他界

佐々木朗希さんの父・功太さんは、2011年の東日本大震災の津波によって他界されています。

佐々木朗希さんは、震災時は小学校3年生。

その瞬間は岩手県陸前高田の小学校にいたのだそう。

校庭まで津波が押し寄せてきました。みんなで必死に高台まで逃げたのを覚えています。正直、なにが起きたのか分からなかったけど、その事は今でもはっきりと覚えている

と、後に話しています。

避難所で兄弟3人で一夜を明かし、翌朝には母・陽子さんと再会できたが、自宅は流された。

最愛の父と祖父母は津波にのみ込まれた

引用:スポニチ

当時、やり切れないむなしさ、寂しさと悲しみを抱え込むことも多かったそうで、それを忘れさせてくれたのが「野球」だったのだとか。

「野球しているときが一番楽しかった。夢中になれる時間というのがあったおかげで、大変だったとき、つらいときも頑張れた。野球をやっていて良かったなと思う」。

引用:スポニチアネックス

東日本大震災から11年が経った2022年3月11日、佐々木朗希さんは取材でこのように発言しています。

「11年経ったんですけど、なかなかその時のつらさとか悲しみは抜けないとは思う。でも今、野球にこうして打ち込めてるのはたくさんの方々の支えがあってだと思うので、支えてもらった方たちには感謝しかないです」

引用:スポーツ報知

自身を支えてくれた方たちへの感謝の気持ちを持てる優しい青年に育って、お母さんも天国のお父さんも安心されたことでしょう。

また、震災から12年の2023年3月11日には、佐々木朗希さんはWBCで初登板という大舞台に立っていました。

3回2/3を66球、被安打2、奪三振8、四死球3、1失点(自責点0)と好投し、

「色々ありましたけど、今日、自分が出来る事をしっかりやって、このマウンドに立てたことに、とても感謝しました」と話しました。

引用:日テレニュース

自分ができる「野球」をただ頑張るという佐々木朗希さんのひたむきな姿勢は、多くの方の心を打ったに違いありません。

佐々木朗希さんと父親のエピソード

佐々木朗希さんと父・功太さんのエピソードをご紹介します。

葬儀屋の不規則な仕事の傍ら、休みの日になると息子たちとキャッチボールをして積極的に交流していた功太さん。

前述しましたが、父・功太さんは生前、息子の朗希さんの野球の素質を見抜いて、将来はプロ野球選手になると予言をしていました。

亡き父は「将来はすごい選手になる」と予言し、小学校低学年の朗希にも強い球を投げた。

心配して止める人を、祖母は「いいんだよ、あれで」と制した。

引用:日刊スポーツ

父・功太さんは野球の経験こそありませんでしたが、バスケットボールなどのスポーツの経験を通じて、自分の息子が類まれな才能を持っていることに気づいていたのかもしれませんね。

予言通りに、メジャーを目指すような大きな選手に成長していることを、天国から目を細めて見ていることと思います。

【佐々木朗希】母や弟など家族について調査!

佐々木朗希さんの母や弟などの家族は母、兄、弟の4人家族です。

佐々木朗希さんの家族

  • 母親:陽子さん
  • 兄:琉希(りゅうき)さん
  • 弟:怜希(れいき)さん

佐々木朗希の母親

佐々木朗希さんの母親の名前は「陽子さん」です。

母・陽子さんは2019年11月、朗希さんの千葉ロッテマリーンズの入団合意の席に付き添われていました。

佐々木の母、陽子さんは入団合意の記者会見を会場で見守った。

息子のユニホーム姿をうれしそうに見つめ「しっかりしているので何とかやっていけるのではないかと思う。考え方は大人なので」と頼もしそうに話した。

引用:サンスポ

ロングヘアの似合うきれいな方ですね^^

母・陽子さんが美人だと当時ネット上でも大きな話題になりました。

陽子さんのプロフィール

  • 年齢:51歳(2024年時点)
  • 職業:保険会社の営業
  • 料理が得意(佐々木朗希さんが好きな料理はハンバーグ)

性格は気さくで天然っぽい感じなのだそうです!

男の子は背が高い方が有利だと夜9時には消灯し、背が伸びるようにと育てた母・陽子さん。

結果として、野球選手として充分に恵まれた身長に育った佐々木朗希さんを見ると、お母さんの育児方針が正しかったのだと思わされますね。

仕事をしながらの育児は大変だったことと思いますが、シングルマザーで息子3人を立派に育て上げた陽子さんに頭が下がります。

佐々木朗希の兄弟

佐々木朗希さんは3人兄弟の次男です。

  • 兄:琉希(りゅうき)さん
  • 弟:怜希(れいき)さん

兄弟は3人とも「大船渡高校」に進学しています。

父親の亡き後は、3歳上だった兄・琉希さんが父親のかわりを務め、弟2人の面倒を見るようになったそうです。

兄の琉希さんの弟への教育はかなり厳しかったそうで、母親から見てもかわいそうなくらいだったとか。。

琉希さんは、小学校3年~高校まで野球をやり、高校3年生の時には4番を任されるほどの実力者でした。

佐々木朗希さんが野球に興味を持ったのは、なんと、兄・琉希さんがスポーツ団に入ったことがきっかけなのです。

兄の琉希さんは現在、野球から離れ、大手広告代理店に勤務しているとのこと。

また、弟の怜希さんも大船渡高校の野球部でレギュラーとして活躍しています。

佐々木朗希のプロフィール

佐々木朗希さんのプロフィールをまとめました。

  • 名前:佐々木 朗希(ささきろうき)
  • 出身地:岩手県陸前高田市
  • 生年月日:2001年11月03日
  • 身長:192cm
  • 体重:92kg
  • 出身高校:大船渡高校
  • 投打:右投げ・右打ち
  • 所属:千葉ロッテマリーンズ

佐々木朗希さんの経歴

  • 2010年:陸前高田市の高田小3年から少年野球を始める
  • 2011年3月11日 東日本大震災にあう
  • 2011年 小4で母の実家がある大船渡市に引っ越す
  • 2014年 大船渡第一中に進学し、軟式野球部に入部
  • 2016年 全国大会で最速141キロを記録
  • 2017年 「地元の高校で甲子園を目指したい」と大船渡高校に進学
  • 2019年4月6日 高校野球史上最速の163キロを計測
  • 同年10月17日 ドラフト会議で4球団から1位指名を受けロッテ入団
  • 2022年4月10日 オリックス戦で史上最年少となる完全試合を達成

9歳で東日本大震災や父親と祖父母を亡くすという悲しい経験を乗り越えた佐々木朗希さん。

中学3年生のときに、

  • 大阪桐蔭高校
  • 花巻東高校
  • 盛岡大付属高校

など、甲子園の常連校や野球の強豪校から声がかかったといいます。

が、佐々木朗希さんは「地元の仲間と甲子園に行きたい!」という思いからすべて断りました。

被災した地元を自分が元気づけたいという思いが感じられるエピソードですね。

実際に、活躍する佐々木朗希さんを見て勇気づけられた方も多かったのではないでしょうか。

まとめ

この記事では、「【佐々木朗希】震災で他界した父の職業は葬儀屋!母や弟など家族について調査!」と題して、佐々木朗希さんの父親、母親、兄弟など家族について調査してきました。

佐々木朗希さんの父・功太さんの職業は、葬儀屋だった

9歳で東日本大震災にあわれ、父親と祖父母の死を経験されるなど壮絶な人生を歩んでこられた佐々木朗希さん。

これからも応援したいと思います!

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